#18 お仏壇がイヤなんです・・・

みなさんこんにちは。

木のおもちゃ作家 あるみです。

秘密の仕事場、

ちょっとお外に移動して送りしています。

第18回目。今日も話をしよう。

今日はですね。

お仏壇がイヤなんです。

っていうお話で、これはね本当に多い。

まぁ、お仏壇じゃない供養の形

っていうものを提案しているので、私が。

もっともなんですけども、本当に多いんですね。

とにかく、形式的なお仏壇がイヤなんです・・

っておっしゃってる方が多く来られて。

決してね、お仏壇を否定しているわけじゃなくて。

その方たちも、私も全然否定しているわけではないんですけど

自分の感覚的に、なんかしっくり来ない

っていう話だと思うんですね。

それで、お仏壇の本質っていうのを考えてみた時に

それは、「心を寄せるもの」

っていう意味だと思うんですね。

それに宗教的な意味が加わっていって、

仏教でいうところのお仏壇っていうお話で。

それが、すごく母体が大きいので、

亡くなったらお仏壇

っていうふうにリンクするんだと思うんです。

でもそれは、どんな宗教でもね、

「供養」っていうのはあるわけで。

私は「何が供養か」

って考えた時に、

「亡くなった大切な人のことを心に思うこと」

が供養だなーって思ったんですね。

大切な人は亡くなったけども、

まだこの世にいるあなたが心穏やかでいられる。

心穏やかにその人を想っている。

っていうことが供養だと思って。

心穏やかでいられるって言うのは

それでも生きている

っていう意味だと思うんですね。

亡くなった

っていうその事実と

その人をそれでも大切に思って

それでもあなたが生き続けてる

っていう・・・

なんか根底はそこが供養だなと思ってて。

だからそれができれば、

別にカタチは何でもいいんじゃないかと思って、

私は「たましいのおうち」

っていう作ってるんですけども。

なんかもう、それだけなんですよね。

心を寄せるものが目に見える形であると、、、

別に無くてもいいんですよ。

自分がいつでも心に思って、

その人の事を大切に生き続けられる

それが供養だから

別にモニュメント的なそうものはなくてもいいんですけども

目に見える形があると

やっぱりこの世に生きてる私たちは

すごく安心できる。

それで他の人たちも、

そこに目を向けて、それに触れて

それで話も自然にできたりとか

なんかそういうことのできる、

シンボル的な物があって欲しいって。

ただそれだけのものが、

お仏壇なのか、

十字架なのか、

はたまたお家の形をしているのか、

とかそういうことの違いなだけで、

本質的なことは一緒だと思うんですね。

どんな形であれ、

あなたが心穏やかに

その方のたましいと共に生き続けられるものがあれば

それが供養だと思います。

なのでお仏壇かどうか

っていうことじゃなくて、

供養ってどういうことなの?

っていうところで考えてみたら、

形に囚われる必要もないし、

なんかやらなきゃいけない

っていうそういうこともないんじゃないかなと

思います。

私は供養の形は自由だと思ってますので、

あなた思うやり方で

心地よく過ごせるやり方が

一番の供養なんじゃないかなあと

思います。

はい。では今日は、

お仏壇がイヤなんです

って皆さんおっしゃる事の理由について、

ちょっと考えてみました。

ではまた次回

お耳にかかりましょう。さよなら! 

「たましいのおうち」について

木工作家の多胡歩未が、自身の経験から、子どもを亡くしたご家族が前を向いて生きていくための、家族の「かたち」を一緒に考え、オーダーメイドで作ります。

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