「家族のど真ん中で毎日一緒に生きてる感じ」きはるくんのおうち

こんにちは。木のおもちゃ作家あるみです。

今回は私の息子の「たましいのおうち」の紹介です。

どんな想いで、どんな未来をイメージして作ったのか、

家族や友人たち、わが家のその後の経過まで綴ってみたいと思います。

息子の名前は「気春(きはる)」です😀

息子の存在をなかったことにされたくない

もう、私の気持ちはこの一点にあったといってもいいと思います。

誰かが誰かを思い出しておしゃべりをする。

それこそが、その人の中に相手が存在しているという証拠だと思うのです。

生きていようがなかろうが。

みんな、亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんの話は喜んでするのに、

なんか、息子の話はしてはいけない雰囲気。

気を使ってくれているっていうことなんて、100も承知だ。

でもそれいらん。そんなことしてほしいんじゃない。

私は気春の話をしたい!!!😤😤😤

周りのみんなも困っている

息子の事を話したい私と、リアクションに困る周囲の人達。

まぁ、普通に考えて、そりゃそうだと思いますよ。私でも。

なんでそんなに息子の事を話したいのか。

厳密に言うと「話したい」のではないのです。

息子が「存在している」事実を感じていたいだけなのです。

もちろん私にも見えないから、ともすると簡単に、

いなかった事になる😱。。。。気がしていました。

当時はまだ、私自身の中に息子の確かな存在を感じていられなかったから、

周りの人に確認したかったのだと思います。

「気春のこと、ちゃんと覚えてる?」って。

相手の中にも息子が存在しているかどうか確認できる方法が、

息子の話をする

という行為だったのだと思います。

めんどくさいヤツでした。

「私のこと、好き?」っていちいち彼氏に聞く、恋愛依存症女子みたいですね🤣

息子がここにいるよっていう目印を作ろう!

基本的に、自分でなんとかしたい私。

これから毎回、誰かに息子の存在を確認しながら生きていくなんてムリムリ🙅‍♀️

だからまず、私自身が息子を感じられる「何か」を作ろうと思いました。

「そこにいる」って分かれば、そこに行けばいいんだもん。

とりあえず、目に見えるカタチがあれば、

ひとまず存在が消えることはない。

周りの人達だって、話がしたくないワケではないんです。

どうリアクションをとればいいのか分からないだけ。

見えないから、どっちを向いて何をすればいいのか分からないだけ。

だから目印があれば、その人のタイミングで近づいて、

話しかけたり、お花やおやつを置いていったり、

お土産持ってきたりしてくれるだろうな〜と思ってというか、願って、

目に見えるカタチにする必要性を感じました。

きっと息子も困っている

息子にしたって、ボクはここにいるのに、

地上の人達が、自分の姿が見えない事で右往左往しているのは、

困ってしまうと思うのです。

そして、たまに帰って来たときに、

自分の居場所がないとさらに落ち着かないと思うのです。

その昔、一人暮らしして、久しぶりに実家に帰ったら、

自分の部屋がなくなっていて😱

実家でお客さん状態だった過去の私の経験もふまえて

息子の居場所として、おうちを建てることにしたのです。

家族のど真ん中にいて、誰もが関わり合える

ダンナさんと娘との話し合いの結果、

家族のど真ん中にいて

違和感がなくて

誰もが自然に関わりたくなる

という希望が出てきました。

こんなおうちです

家族のど真ん中に違和感なくいてもらうためには、

インテリアのような感覚で馴染めるデザイン

関わりたくなるためのしかけとして、

小部屋をたくさん作って、息子への気持ちを入れられるようになっています。

扉の役割も実は大きい気がします。

朝開けて、夜閉める

それだけで、毎日確実に一言声がかけられます。

旅先の想い出とかお土産とか

拾ってきた石とか貝殻とか

お店で見つけてキュンとしたモノとか

両親や友人たちが入れていったモノ

色んなモノたちが居住しています。

気持ちが安定しました

私はそれを見て、

ひどく安心するのです。

もう空気を乱して息子の事を問いただす必要もなく

不安を感じる要素もどこにもない。

訪ねてきた人が、

きはるハウスの前でニコニコしているのを見るだけで

嬉しくて泣けてきます。

よかったね。ちゃんと心の中に生きているんだね。

って思います。

ダンナさんや娘も毎日何かしら役目があって

当たり前に存在しているのが

目に見えてわかる安心感。

たまに居住者の入換えがあったりして、

その度に息子との出来事が増える楽しみ。

家族のイベントにも巻き込まれる息子。

一緒にいないなんて思えません。

朝、扉をあけて「おはよう」

夜、扉を閉めて「おやすみ」

それが尊いことなんだと知りました。

息子が腫れ物のように扱われなくなりました

おかげさまで、息子はとっても関わりやすい存在になったようで

家族や両親からも普通に名前が出るようになりました。

節目にはお花やプレゼントが届いたりします。

なによりも、私自身の中に

しっかり息子の存在を確認できるようになったので

良い意味で、息子が特別な存在ではなくなりました。

なんか、楽しい毎日を過ごしていますよ。

作ってよかったと、過去の私に感謝しています😄

「たましいのおうち」について

木工作家の多胡歩未が、自身の経験から、子どもを亡くしたご家族が前を向いて生きていくための、家族の「かたち」を一緒に考え、オーダーメイドで作ります。