子どもの供養について語りました。ラジオ「ゆめのたね放送局」音源


こんにちは。木のおもちゃ作家 あるみです。

このところ「たましいのおうち」へのお問合せが増えていて、
愛するわが子にやってあげられる最後の事として、
みなさん真剣に向き合いたいという気持ちをいっぱい感じます。

そんなご家族達の小さなきっかけになれるのは、
私にとっても息子への供養なのだと思います。

先日放送されたインターネットラジオ「ゆめのたね放送局 こっからパーマカルチャー」

ご感想を沢山いただいております。
「文章で読むのとはまた違った想いが伝わってきました」
「同じ想いの人にきっと届くと思います」
「わが子を亡くして6年で、いのちの一巡を感じておられるのがすてきです」

などなど・・
ありがとうございます!


「聞き逃してしまった!」
「インターネットだからいつでも聞けると思ってた!」

というお声も届いております(笑)


そこで、ラジオの音源を入手いたしました!
チャンス到来。ぜひお聞きください。

また、下記に全文掲載しておりますので、
お忙しい方はどうぞそちらへ〜。

いのちの喜ぶほうへ掌(たな)添えて こっからパーマカルチャー 


木はいのち 雫がぽとっと 土に落ち

土はふわふわ たねは木に

木は姿を変えて こどものもとへ

こどもは返す 木を土に

たねから芽生えた幼芽が育ち、やがて木になり森を形成し、切られた後は新たな姿に

最後は土になって次の命を育みます 森の循環は命の循環でもあります
arumitoyが見つめているのは 命の始まりと終わり

でも終わりはなくて 次の命になるのです 人の命も同じです 

始まりと終わり でも終わるのは肉体だけで たましいは次の命に譲ります

今、ご紹介したのはarumitoyの詩、そしてそちらの解釈になります。

こちらのarumitoy、本日お迎えしますゲストさま、多胡歩未さんがお勤めされているところですね。木のおもちゃ作家でいらっしゃいます。本日は「たましいのおうち」についてじっくり30分間お話伺っていきたいと思います。

(番組紹介略省略)


まや:あらためまして、こんばんは。8月はデストーク月間。よく生きるための死を考えるというテーマでお届けしています。今月、二人目にお迎えする、ステキなゲストさんはこちらの方です、多胡歩未さんです。こんばんは。

あるみ:こんばんは。

まや:ようこそいらっしゃいました、歩未さん、通称あるみさんは、arumitoyのオーナーでいらっしゃって、木のおもちゃ作家なんですよね。今日は、たましいのおうちっていうものについてね、ご紹介いただけるっていうふうに伺っています。初めて聞かれた方は、たましいのおうちってなんだろうなって思われてると思うんですよ。あるみさんの方からご紹介いただけますか。


あるみ:はい、たましいのおうち、っていうのはそのお仏壇のようなオブジェ。たましいの帰ってくる場所ですとか、生きている私たちが心を寄せる場所というものを作っています。

まや:大切な家族、先に肉体を離れた、こどもさんの帰ってこれる、そんな場所。実は、私、そのオブジェっていうのを、工房に行かせてもらった時に見せていただいたんですけど、本当に一緒に戯れたくなるような、すっごい可愛い、それでいて木のぬくもりをね、なんか肌の温もりと近い感じを感じたりとかね、実際触れて思ったりしたんですけども。そういった素敵な、なんだろう、居場所と言うかね、場所?場所ですかね。そういうのを作っていらっしゃるということなんですけど。そもそも、たましいのおうちを作ろうと思ったきっかけってどういうところですか。

あるみ:私、木のおもちゃの作家として、デザインして作るっていう仕事をしてるんですけども、そのときに、うちのおもちゃは、出産祝いに選んでもらって、赤ちゃんの生命の誕生をお祝いしているものであったんですけども、私自身が、6年前に、生まれたばかりの息子を亡くしまして、で、その時に、命について考える、もっともっと深く考えるということがあったんですね。で、常々、木は命で循環してるって、さっき詩をご紹介いただいたように、木は、最後に土になって次の命を育むんだよっていうのは、私はずっと子供達に伝えたくて、木のおもちゃを作ってたっていうのもあるんですけど、その中で、人間の命について考えさせられる出来事だったもので、私は一体何をするんだっていうふうに考えた時に、出産をお祝いしている人間が、死についてどう発信するとか考えた時に、生とか死っていうよりも、その命の一巡を見てたらいいんじゃないかな、って。それで、その命の始まりと終わりを、私が見つめてるって言うことで、終わりについても、arumitoyらしくっていうか、私らしく、終わりじゃないんだけども最後のセレモニー。始まりのセレモニーが出産祝いだとしたら、最後もセレモニー的に、何かやってできることがあるんじゃないかなっていうので始めたのが、たましいのおうちなんですね。


まや:そうなんですね。いのちの始めと終わり、始まりと終わりっていうところ見つめるきっかけに、ご自身の息子さんを亡くされて、深く感じられたっていうことですよね。本当に、何かこう作られながらすごく、今、目の前にそのオブジェを持ってきてくださっているんですけども、本当に何か見てるだけで、普通、亡くなった方をお祀りする場所=仏壇というのがすぐ浮かんじゃうですけども、全然そのイメージとは遠い、あったかい場所。仏壇が冷たいってこと意味じゃないんですけども。すごく親しみを感じる、なんか木のぬくもりを感じるって言うのと同時に、なんかその存在を・・・


あるみ:いなくなって見えなくなってしまったから、よくわからない儀式に乗っかってやるって言うよりも、私は見えないけど家族だし自分たちらしく、その命と関われる何かが欲しかったんですよね。なので、なんだろう、赤ちゃんだったから朝おはようって声かけて、夜おやすみって自然に言えるような何かが欲しくて考えました。

まや:なるほど。この収録にあたって、ちょっといろいろお話をさせて頂いた時に、ちょうど亡くなられた息子さんが、今生きていたら6歳になられる節目、一年生、小学校これからあがるところだって節目だという話で。後は亡くなられた直後っていうのは、周りの人たちも気遣って、なんかこうそのことに触れるのがね、なんかちょっと遠慮したりとか、すごい感じたいのに、なんか誰もそこにどうして触れたらいいんだろうって、その声のかけ方とか、いろんなためらいがあったり、ちょっともどかしい感じが、たしかに家族としてね・・・

あるみ:当の本人は、本当にめちゃくちゃな精神状態だし、話したいけど気安く話してくれるな、って思ったりとか、ありがたい言葉をすごく嫌な感じで勝手に受け取ったりとか、めちゃくちゃ矛盾してるんですよね。それは自分でも分かってて、どうしようもないんですよね。だけど、それはそれで自分で受け取って、ちゃんと自分がめちゃくちゃだっていうの分かってればそれでいいと思うんですよ。それのあとに、ちゃんと整理されてくる時期が来るから、それをちゃんとまず受け取ることは、大事な時期だったと思います。


まや:そうなんでしょうね。やっぱり、何かこう頑張って、しっかりしようって言ったらなんか自分の思いが押しつぶされちゃうっていうか・・・

あるみ:むしろ私、そういう風に、なんか心配されないようにとか、やっぱり気丈に振る舞ったりしてたら、やっぱりしんどくなるし、それはちゃんと受け止めて、しんどい、寂しい、悲しい、って自分でちゃんとも思うことが一番まず最初にやることですよね。

まや:そうでしょうね。私は、自分自身でね、こどもを亡くした経験がないので、本当にあるみさんのご自身の体験からもその言葉っていうのが、本当にそうなんだろうなって伺ってるんですけどね。これ聞いていらっしゃる方の中にも、そういう境遇に今、身を置かれてる方がいらっしゃるかもしれないですね。なんかそういう人たちに、分かち合って、生きやすくなるというか、その亡くなった命も、確かに家族としてのご縁があったということを忘れないように、つながりながらやっていくということ。


この、今目の前に置いて頂いてる、両手で抱えられるぐらいの、しっかり、ずっしりした感じの、木をくり抜いて作られているんでよね、これ。

あるみ:そうですね。

まや:窓というか扉があって、その中が空洞になっていて、本当にかわいい屋根があって、扉があって開けるとそこに部屋がある、みたいな。なんか実際、そこの開いたところにいろいろ、家族の方がお供えしたり、飾ったりとか。

あるみ:うちは娘がいて、小さいので、弟にって言って、拾ってきた石とか、なんかいろんな貝殻とか、旅行行った時にみんなに見つけた何かとかを飾ったりとか、そういう関わり合いが普通にできるようにしたくて、そういうもの作ったんですけど。

まや:なるほど。なんか置きたくなりますよね。このスペースがウェルカムしてくれる感じがね。

あるみ:そう。朝、扉を開けておはようって言って、夜、閉めておやすみって言ってるだけでも関わってるっていうのは、すごく自分たちで楽しいし、一員として、なんか、みんな、ちゃんと心にあるっていう、彼の存在がね。


まや:そうですよね。なんか家族のなかでいろんな役割があるんですよね。お嬢さんはそういう、色々持ってきて。

あるみ:娘は、夜お水を下げて扉を閉める。朝、主人が扉を開けてお水をあげる。私はお花を、フレッシュなお花を添える、っていう役割があって。誰かが忘れると、なんか違うとか言って。まだ寝てるとか、昨日は徹夜だったとか。

まや:なるほど、それも家族の関わりのなかで、本当に、肉体あってもなくても、つながりあってる感じがすごいしますよね。本当になんか、家の真ん中にどーんと置いてあっても、本当にふわーっと引き寄せられて、なんか手に取りたいっていうか、触れたいっていうか、そういう心が寄せられる場所・・・

あるみ:そうですね。家族のど真ん中にあって違和感のないものであって欲しかったんですね。仰々しく和室の端っこにいるんじゃなくて、ど真ん中に本当に普通にいて、友達が来てこれ誰とか言って、息子って言える、何の違和感も無いものにしたくて。

まや:なるほど、もうまさにそんな感じですよね。

あるみ:普通に子供何人、って娘を紹介するのと同じように、息子が紹介できたらいいなと思って、来た人がびっくりしないように、なんか溶け込んでる・・・

まや:うん、めっちゃ溶け込んでますよ。興味もつ。関心もって、これ何?とか・・・

あるみ:この子誰?みたいな。

まや:全然おどろおどろしさとか、仰々しさとかそういうのもなくって、本当に近くにあって、なでなでしたくなる、そんな感じですよね。本当に素敵な、家の中にあったら、たましいの輝きっていうか、ぬくもりっていうか。なんかそういうのを感じられるそんなオブジェだなーって。今目の前で眺めながらね、私たちの前にね、いま置いて下さってるんですけど。

(ジングル)

まや:本日は、多胡歩未さん、arumitoyのオーナーでいらっしゃって、木のおもちゃ作家、愛称あるみさんをお迎えしてお話を伺っています。あるみさんが手掛けてらっしゃる、たましいのおうち、っていう、亡くなった我が子が帰ってこれる場所。みんなが心を寄せ合える、そんなオブジェを作ってらっしゃるっていうことでね、実際どんな形態で、どんな感じなのかなーってことに、いまちょっと触れてきたんですけど。すごく深い思いを持ってね、このプロジェクトというかね、活動をされているということなんですけども、具体的にどういう思いで、どんな人たちにこれを届けたい、受け取ってもらいたいっていうのが、あるみさんの方にもあると思うんですけども、その辺りを聞かせて頂いていいですか。

あるみ:はい。大切な我が子を亡くしてしまったっていうのは、悲しいできごとではあるんですけども、実は悲しいできごとではないっていうことだなーって、今、こんだけ年月が経って、6年経って今、私が思っていることで。やっぱ当初は、めちゃくちゃの支離滅裂な感情を、自分で、自分でもコントロールできない気持ちがあって、それはそれ、そういう時期は必ずあっていいと思うんです。でも、それはちゃんと受け取ってやってるうちに、自分がどう生きるかっていうところに、その、彼は彼で生きていたけど、じゃあ私はどうやって生きるんだというところに行くと思うんですよね。その時に、私は息子を失って悲しい人間なのかっていったら、私はそうじゃないなと思ってて、彼のいのちとして見た時に、彼は自分の使命を持って生まれてきて、それを全うしたから終わったんだっていう風に思ったら、なんかもう尊敬に値するなとも思うし、なんだろう、もう本当に何か、おめでとうっていう・・・

まや:いのちのその何十年生きたとか、何ヶ月だったとか、その長さじゃなくて、本当に全うして・・・

あるみ:何したかで、使命を果たしてご苦労様っていう、なんかそういうことだなって。いのちってそういうためにあるな、って思った時に、それを悲しんでたら失礼だし、それこそよく頑張ったじゃない、すごいじゃないって言ってあげなきゃいけないなーって思ったら、悲しいできごとじゃないなと思って。

まや:なるほどね。その与えられた時間の中で、そのたましい、いのちなりに全うして・・・

あるみ:普通の、大半の人は何十年もかけて自分の使命を全うしていくんだと思うけど、息子なんて、どんだけの時間よっていうような短い時間で全うして、なんかすごいなって思うんですよ、誇りに思う。そんだけの短い時間でやれるんだって、こんだけのことを人に残せるんだとか・・・

まや:家族にね・・・

あるみ:彼が私たちに残してたものって、私はすごい受け取ってて、その時間でこんだけ人に影響を与えることできるんだなぁとか思ったら、いのちは長さじゃないと思うし、そのいのちが亡くなったことを悲しんでる場合でもないなって。

まや:そうですよね。なくなった息子さんも、なんか上からっていうか、お空から見ていて、お母さんいつまで嘆いてんのかなーとかって、そういう姿を見るよりも、なんかはつらつと自分自身を、ちゃんと繋がりを感じながらも、お母さんの道を生きていってくれる方が嬉しいですよね。

あるみ:私がそれが悲しいできごとじゃないなっていうふうに整理できた時に、すごい自分が楽になったんですよね。そのなんか悲しいできごとみたいな、そういう重たいものに引っ張られることもなくなって、すごくなんか前を向けるようになったというのもあったから、やっぱりそうなんだなぁと思って・・・

まや:なるほど、大体なんかすごい自分の近くの大事な人が亡くなると、残された人が、何かもっとできたんじゃないかとか、何かいろいろ後悔みたいな感じがね、わーーっと湧きだしたりとかすること、自分自身も自分の親の時とかに感じたりとかしたんですけども。何かそれを感じることも、一つの過程として、プロセス、こう感じているなって受け止めることは大事だと思うんですけども、いつまでもそうしてね、後ろ向きにいるんじゃなくて、生きてる家族だったら、実際に繋がってる家族だったら、なんかどうしていけるのかなっていう。肉体離れていても居てても。

あるみ:そうですね、何かやってあげられなかったとか、いなくなっちゃったとか思うよりも、その命が終わって、やることやって、で、もう次にいのちが向かってるんだよって思った時に、いつまでも元の命をこっちが引っぱってもしょうがなくて、その次の命にいってることを、応援してあげなきゃいけないなって。

まや:なるほど。

あるみ:それが私が今やることだなっていう風に思った時に、何かすごく晴れたっていうか、気持ちがよくなったっていう・・・

まや:何かその感じお話しされてるのを見てても、顔の表情を見ててもすごい伝わってきていて、あるみさん、心の中で息子さんと会話するっていうか、つながって、いろいろやり取りもされているみたいなんですけれども。なんかもう亡くなったけどすごくえらい出世されているという姿も見られたりしていて。でも、家族がそうやって、嘆き悲しんだりとか、いつまでもいつまでもその状態でいたら、どっちもなんかね、不幸というか、本来のありよう、光を表して生きるっていうところからちょっと遠ざけてしまう感じがするけど、なんか活かせる、ね・・・

あるみ:で、普通に生きてる子に対して親は応援するじゃないですか。ちゃんと生きていけるようにね。だとしたら、いなくなっても次のいのちに、次の段階にいってることを応援してあげなきゃいけないなって思って。

まや:それをしてあげられたらね。

あるみ:それが今ね、やってあげることなんだなって思って。だけどやっぱり忘れたくないし自分達も、だから心を寄せる場所が欲しいし、彼も帰ってくる場所があったらいいなと思って。

まや:もし、生きてる息子だったら、ちょっとどっかに下宿かどっか行ってるのが、実家に帰ってきた時に自分の部屋があるみたいな、そんな感覚。

あるみ:そんな感覚でおかえりって。

まや:楽しいですよね。

あるみ:お盆とかね、帰ってくるとおかえりってなるし、じゃあまたね、来年ね、みたいな感じで出て行くから。いつでも帰って来ていいよっていう場所としてあるし。

まや:いいですね、どこでもドアみたいな。こう、時空を越えて、いつでもそこに心を合わせてチューニング合わせたら繋がれるみたいな、そんな場所。

あるみ:だから、他の人たちも、息子のことを心で思うけど、何していいかわからないって、たましいのおうちができるまでは、なんか周りの人もどうしていいか分かんない状況があって・・・

まや:そうですね。接し方がね・・・

あるみ:こっちもちゃんと思ってくれてんのとか、なんか不安定な時はその猜疑心とかを抱かずにおれなくて、これができたら、なんか向く方向とやるべきことがわかるじゃないですか。そこに来たら彼のことを考えてるって行動で示せるっていう。

まや:そうですね、声かけられる。

あるみ:そう。で、お花の1つでもあげたら彼のことを想ってるっていう行動になるっていう。

まや:表せますもんね。

あるみ:そう、それがないと、どっち向いて何していいのかわかんない状況が、みんなそうで、みんな困ってたんだろうな、って思ったんです・・・

まや:これを作られて、そのあたりがすごい解決したというか、解消されて、みんな晴れやかに。先に行った息子さんとも関わりあいが持てるし。

あるみ:そう。お土産買ってきたとかいって、ちょこんて置いてあったりするんで。そうするとなんか、それを見てて、なんか嬉しいな、って思うし、私も。

まや:そうですよね。周りの人たちにとっても本当になんか繋がりやすい、気楽になれるっていうのかな。いい意味で。なんか本当に、死って言うと、どう触れたらいいんだろうっていう。本人もやっぱり傷ついてたり痛みがあったりとか、思い出をどういう風にね、思い出と関わっているのかなっていうのが、ちょっとわかんないから余計言えないみたいな、そういうところが。

あるみ:すごくオープンにできるっていうのが。

まや:いいですよね、そういうのがね。ぜひ求めてらっしゃる人たちのもとに情報が届いていくことを願います。あるみさん、ホームページをされているんですよね。今日お話しした内容のもっと詳しい、こどもさんができるまで、そして本当に亡くなられて、このおうちを作るっていうことになった流れ、現在に向かってのメンタルの変化だったり、そういうことをずっと書き綴ってらっしゃって。実際に、このおうちのサンプルの写真っていうのが、出来上がったものもいろんな形のものがあって、それが紹介されてるホームページがあります。キーワードがあるんですよね。

あるみ:ひらがなで「たましいのおうち」って入れてもらったら出てきます。

まや:ぜひみなさん、「たましいのおうち」で検索して見てみてください。すごいステキな形のおうちがいろいろ紹介されています。オーダーメイドで色々お話をクライアントさんと・・・

あるみ:話しながら、一緒に作り上げるっていう。

まや:ぜひぜひみなさん、繫がってみてください。

(ジングル)

まや:エンディングのお時間となってまいりました。今日は多胡歩未さんをお迎えして、たましいのおうちについてご紹介頂きました。ありがとうございます。

あるみ:ありがとうございました。

まや:求めてらっしゃる方のもとにね、この情報が本当に伝わってきていきますようにって思いますね。本当に生きてる側と離れた側とを繋ぐというオブジェ、接点というかね。そうふうになりうる、ステキなプロジェクトだなって。プロジェクトっていっていいんですかね、オブジェ。

あるみ:そうですね、まあ、プロジェクトですね。

まや:プロジェクトですかね。生きている人、あと、別にこどもじゃなくてもね、親御さんとかでもいいと思うんで。本当にステキなホームページ、心に響くものを書かれているので、ぜひみなさんアクセスしてみてください。じゃあ今日はこのへんでお別れしたいと思います。これからの活動も応援してます。あるみさん、今日は本当にありがとうございました。

あるみ:ありがとうございました。

「たましいのおうち」について

木工作家の多胡歩未が、自身の経験から、子どもを亡くしたご家族が前を向いて生きていくための、家族の「かたち」を一緒に考え、オーダーメイドで作ります。

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