3-9: やっぱり自分を留めているのも自分だった

私はきっと、前に進みたいとは思いながらも、

実はそれを恐れていたのかもしれません。

息子の一件が落ち着いて、

後は私がどう生きるかという段階に達したとき、

あの壮絶な出来事を盾に、

進みたいけど進まない理由としていた気もします。

まだ処理ができていないと思いたかったのかもしれません。

家族がなんとなくギクシャクしていた時、

ある人の話を聴きながら、私は自分の家族像を描いてみました。

ダンナさんがいて、私がいて、間に娘がいて、

そして私達のちょっと上空に小さな天使がいる。

それが私の家族像だと思って。

なのにその画を思い浮かべても、

何も感じない私がいました。

どれだけ鮮明に思い描いても、何も感じない。

あぁ、私はもう、自分の家族に対してまでも

愛を感じられなくなってしまったんだー!!

と、打ちひしがれて天を仰いだのです。

その時、仰いだ私の頭の動きと連動して、

思い浮かべていた画の中から、

天使が一緒に天に引き上げられたのです。

その瞬間に滝のような涙が流れ、

全てを理解しました。

あぁ、息子は天にいるのだと。

ここではないのだと。

私がいかせまいとしていたのだと。

しばらく嗚咽が止まりませんでした。

私は息子にそばにいてほしかったです。

本当はずっと一緒にいたかったです。

その想いを当たり前のように、

箱の中に押し込めて、

本当の私の気持ちを封印しました。

その事にようやく気づくことができました。

時間がかかったけれど、

その想いは取り出され、宙に放たれました。

家族のど真ん中。

息子は今でも我が家のど真ん中にいます。

だけどその意味は、

息子の帰ってくる場所。

彼自身がいるのではなく、

彼の居場所があるのです。

いつなんどきでも帰って来ても、

あなたは歓迎される人ですよ。

という意味です。


「たましいのおうち」について

木工作家の多胡歩未が、自身の経験から、子どもを亡くしたご家族が前を向いて生きていくための、家族の「かたち」を一緒に考え、オーダーメイドで作ります。

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