3-5:私がガマンすればそれでいい?

だけど、なぜか、いつの時代も、

私は自分の中に、根拠のない自信を持ち合わせていて、

「このままのワケがない」

と思えるのです。

だから、今ちゃんと生きていられるんだと思っています。

子どもの頃、毎日楽しくなさすぎて、

死のうと思ったことありましたもん。

死んだら誰か一人ぐらいは心配してくれるかもって。

今はこういう行動や思考の、意味するところは分かります。

その行動に踏み込まなかった理由も分かります。

根拠のない自信がどこからくるのかも分かります。

でもこの説明をはじめると、

若干スピ系の話が混じってくるので、

今の時点では割愛します。

ちなみに、中学生になったとき、

親友S(第2章に登場)と仲良くなりました。

そこからまた私の人生の記憶が始まります。

心を開ける他者が一人でもいれば生きていけるもんです。

とにかく私は、

誰にも助けてもらえないと思っている人間でした。

息子の件でもそうだったように。

さらにその奥には、

私が他人に受け入れられないのは、

私が悪いから。

という思い込みがありました。

理由もなく無視される。

存在だけで嫌われる。

こんな毎日を過ごしていたら、

あぁ、私が悪いんだ。。。

と思うしか、説明がつきませんでした。

自分自身を否定するしかなかったです。

「私が私であること」

だから息子がこれを教えに来たのだと思っています。

私が私であっていいはずがなかったからです。

だって、私、悪いんだもん・・・・

苦しくて悲しくてあたりまえ。

こんな悪い私が、

喜んでいてはいけないのです。

私ががまんすればそれでいいのです。

「たましいのおうち」について

木工作家の多胡歩未が、自身の経験から、子どもを亡くしたご家族が前を向いて生きていくための、家族の「かたち」を一緒に考え、オーダーメイドで作ります。

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