7: 息子はいのちの瀬戸際にいた

この時点で

私達が一縷の望みをかけて立てていた仮説は、

煙のように消えていたと思います。

入ってくる情報は未知すぎて、

その内容を処理するのに精一杯だったと思います。

話し合った内容が、どのタイミングだったのか、

もう記憶がぐちゃぐちゃで、

思い出そうとすると、

あの時のどんより感がまず襲ってくるのです。


大学病院へは、

結局、何度通ったのか覚えていない。

これ以上、行くところはない。

最後の砦だった。

でも、これで

状況がはっきりする。

もう、素人の仮説を立てなくていい。

とにかく、現状を知れるのだ。

大学病院に初診で行くということは、

どれだけ話が通っていようとも、

かなりの待ち時間を要される事は分かりきっていた。

まだ息子の名前を考えていなかった私達は、

何とも言えないこの時間で、

名前を考えることにした。

待合の椅子で、「名付け」の本と

漢字事典をめくりまくる夫婦。

はたから見たら滑稽だろうけど、

良い時間だった。

息子は、いのちの瀬戸際にいた。

どうやら、「生きる」事が課題になるらしい

という事も、うすうす感じていた。

だからこそ、今、私達の全てを

彼のために費やしたかった。

名前を考えるという時間は、

ずっと息子の事を考えていられた。

名前は将来への願いを込めると言うよりも、

息子が必要としているものが授かるように

という想いに変わっていった。

幾つかの候補を選出しつつ、

二人で吟味する。

息子には「生命力」をあげたかった。

力強い生命の息吹を感じられる名前に決定した。

「たましいのおうち」について

木工作家の多胡歩未が、自身の経験から、子どもを亡くしたご家族が前を向いて生きていくための、家族の「かたち」を一緒に考え、オーダーメイドで作ります。

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